巨大化し増殖し続ける大型量販店の陰で、今、商店街がピンチに追い込まれている。
全国に約1万3000カ所と言われている商店街の4割以上が「シャッター商店街」(商店街の10%以上が空き店舗)と呼ばれ、寂れているという。
「もはや復活は不可能…」との声まで囁かれる地方都市の商店街。
しかし、その厳しい状況の中で、奇跡の復活を遂げた場所があった。
それこそ香川県・高松市にある「高松丸亀町商店街」だ。全長470メートルの通りには約200の店が立ち並び、グッチやティファニーといった高級ブランドが軒を連ねている。
休日には1日3万人が訪れるという四国随一の人気商店街として、その名を轟かせているのだ。
しかし、ここ丸亀町商店街も、少し前までは客数が年々減少する、廃れかけた商店街に過ぎなかったという。
なぜ、丸亀町商店街は復活できたのか?そこには、再建策を行政に任せっきりにせず、自ら立ち上がった商店主たちの熱きドラマがあった。奇跡の復活を遂げた丸亀町商店街の“復活のキーマン”であり、現在、商店街振興組合の理事長を務める古川氏を招き、奇跡の復活劇に秘められた緻密な戦略を聞く!
バブル期に感じた“危機感”から立ち上がった商店主!
長きにわたり四国の玄関口として栄えた香川県高松市。その中心部に位置する「高松丸亀町商店街」は400年を超える歴史を持つ伝統ある商店街だ。
しかし、バブル絶頂期の1988年、瀬戸大橋の開通をきっかけに、その屋台骨が大きく軋みはじめた。
交通インフラの整備で大型量販店が次々と高松市内に進出。その大型店に多くの客を奪われ、売上高はピーク時の3分の1に激減してしまったという。
そんな状況に追い込まれた古川を始めとする商店街の人々は、商店街の再生事業として日本で初めて“土地の所有と利用を切り離す”という前代未聞の計画を打ち立てた。
商店街をまっさらな状態から作り直す大改革。計画から16年、商店主たちが辿った復活の挑戦に迫る!
老後に住みたくなる街づくり!
かつては1000人以上が暮らしていた丸亀町商店街。
しかし、バブル期に行われた地価高騰による「地上げ」などの影響で、バブル崩壊後には、人口がわずか75人にまで減少していた。
こうした住民の減少は商店街の姿さえも変えてしまったのだ。
人が住まなくなったことで、昔は全てが揃っていた商店街から青果店も鮮魚店も銭湯も、そして町医者さえも消えてしまったのだ。
人が住まない商店街に復活はない。そう考えた商店街が打ち出した改革案がある。
それこそ商店街のビルの上層階をマンションにするという大胆な計画だった。
そして、住民を取り戻すため商店街が主導して診療所を開設し、スーパーを誘致した。
コンセプトは自動車に依存しがちな地方でも、車を必要としない住空間を作ることだ。
丸亀町商店街は、こうした考え方で見事、商店街のコミュニティ再生を実現させた。
連携ネットワークで街を活性化!
古川らは、新たに生み出した商店街を「ただものを売る場所」としては考えず、“連携のステージ”と考えている。
商店街に関わる人々がネットワークを作り繋がることで、様々な事業や商品のアイデアが商店街発で生まれていくという考え方だ。
現在では、商店街と地元の生産農家がタッグを組んで、月に一度、商店街に「マルシェ(市場)」を設置する取り組みや、地元のアーティストと共業で新商品を生み出しているという。
これまでの商店街の常識を打ち破る活性化の取り組み。その狙いを取材する!
地図 |
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住所 | 高松市丸亀町13番地2 |